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むこう三軒両隣り 行き交う人たちの一人

土曜日 晴れ

猛暑が全国的に続いている。朝表に出て見ると少し強い涼しい風が通りを抜けていた。ラケットを素振りしていると、いつも車いすを押している人が向こうからやって来ていた。こちらから挨拶すると不愛想に挨拶を返してくれていた人で、玄関へ戻ろうかと思ったが、車窓を鏡代わりに右手でサービスの素振りをしていた。近づいてきたので、「今日は涼しいですね」と挨拶をすると、めずらしく笑みで挨拶を返してくれた。

剣道されていたんですかと、言われたのでびっくり、テニス一筋ですと返すと、ゴルフもやっていたでしょうと言うから、ゴルフはけっこうやりましたと答えて、とどまっているので近づいて会話した。ご出身はと尋ねると県北の町だけど生まれは台湾で父親の関係で中国に渡りました。終戦の年チンタオ(青島)から内地へ帰りましたが、大変でしたと言う。戦争終わっていたいたんじゃないですか、いや2月でしたという。救命袋を付けて潜水艦にびくびくしながら大陸沿いに朝鮮へ行きそこから下関に上陸したとのこと、下痢などして体調を悪くして苦労したらしい。制海権など完璧に牛耳られていた時、よくぞ帰って来たものだと思った。

そんなこともあって体は丈夫ではなかったらし、小学校5年で初めて運動会に参加して200メータ走らされて大変な思いをしたとも語った。『失礼ですが何年生まれですかと」尋ねたら一つ上だった。ぼくが一つ下だと分かり、そして誕生日が同じ10月だと分かると二人の距離が縮まった感じがしていた。

やおら腰かけていた車椅子から立ち上がり押していったが、足の補助の金属が痛々しかった。ほんの近くに住んでいる。あーちゃんと奥さんとは隣近所の付き合いをしており、彼の情報は少しだけ耳にしていた。東大出の教師だったこと。屋根から落ちで脊髄損傷したらしくリハビリで車椅子を押していること。

近辺をぐるぐる回っているので、すれ違うことはたびたびだが、前を向いて黙々と懸命に車椅子を押す姿に、小さな声で挨拶して通り過ぎるしかなかったが、続きの会話が出来る機会があるかもしれない。

4時過ぎコートへ。土曜日の今日はこの時間でもほぼ全面埋まっていたので、壁打ち。生きたボールが打てるので、練習になっていた。Mさんがめずらしく近寄ってきた。今日はメンバーがいなくて、ストレスのたまるダブルスをしたらしく、何でもいいからお願いしますと言う、リハビリ中のぼくはストロークをお願いした。ストロークでの痛みはかなり軽減されていて、何とかお相手をすることができた。彼女が止めようと言わないので困った。ストロークの打ち合いは1時間を過ぎようとしていたので、ぼくの方からギブアップを申し入れた。あとは片手で打つボレーやサービスが残されているが、これはまだまだ月日がかかりそう。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:40 | コメントをどうぞ