末端には末端としての誇りと役割を果たそう

日本のこれからを大きく左右すると思われる重要法案が、いつも通り政権与党による数の論理で強行採決され制定される流れとなっています。

果たしてこの法案の中身について十分に理解している普通の国民はどのくらいなのでしょう。

「なんだかよくわからないけど、どうせ政府が絶対にやるとなったら誰にも逆らえずに決まってしまうのだから、何を言っても何をやっても時間の無駄になるだけだ」とほとんどの人々の意識はそういうものではないかと思います。

僕自身も本当にそれはマズイことだとわかってはいますが、「長い物には巻かれよ」という諺に従わざるを得ません。

若い頃は(今は何も出来ないけど、これからしっかり努力して世の中の矛盾を正していけるような力を身につけよう!)と本気で考えていたことを思うと、この歳になった自分の無力さに少なからぬ悲しさを感じます。

テニスを始めたいちばん最初の頃に、(将来もっと上手く強くなって大きな試合で優勝できるようになろう!)と決意していたのにその後にちっともそんな力を得ることが出来ず今日に至ってしまったのと同じ気持ちです。

ではもうそんな「世の中を正してやる」とか「全日本テニス選手権に出場しよう」なんて気持ちを持っても仕方ないのか?

いや、きっと人生はいくつであろとう何かをやろうと思い立った時にまずとにかく実行することが大切なのだと賢人の教えにあります。

そしてその取りかかり方については「隗より始めよ」という故事に習うべきかなと言う気がします。

「隗より始めよ」とはつまり身近なところから始めて大義を成せという意味で、テニスならば小さな草トーナメントから参戦して勝ちを積み上げていけというような教えです。

確かに今は全日本レベルの大試合で決勝まで勝ち上がる選手も最初は小さな試合での経験を重ねて実力をつけていったのは間違いなく、いきなり大きな試合で優勝するなんてごく稀な限られた人だけですね。

しかし、そういう小さなことに思いきってチャレンジしていかれるのは若者の特権であり、人生の半ばを過ぎた者には・・・なんて言う考えが最も良くないんです!

テニスの達人を目指すならいくつだろうと身近な草トー参戦から、そして政治や社会を良くしてやろうと思うならばまず身近な自分が属す組織の矛盾や不正を無くす努力をすることから!

「もうあと数年で定年だから、今さら会社や組織のなかで揉め事や面倒には関わりたくない」と小さな身近な枠組みの中でさえ人は考えてしまうもので、それでは到底この国をもっと良くするなんていう一般市民によるムーブメントが盛り上がるはずはありませんね。

組織の末端にいる者たちの小さな決意と実行、そして上にいる者の良識と公正な判断があればもう少しマシな世の中、少なくともどんな人々も生き生きとした日々を送ることが出来ると思うのですが・・・

まず自分が率先して「隗より始めよ」ですかね :04 ビミョー:


カテゴリー: 未分類 | 投稿者fresco 12:00 | コメントをどうぞ

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