母と父の結びつき①

金曜日 晴れ

父はきつい労働について行けず、抜け出して写真屋さんの手伝の仕事にありついたのだろうか、おそらく十代で行ったことだろうから、かれこれフィリピンでの生活は20年近く続いていたようだ。

技術も取得して余裕もでき、だからそれなりにフィリピンでの生活を楽しみ写真館として独立して、お店や車も持てるようになっていたようだ。稼いだお金を田舎に仕送り山林などを買っていたようだと母から聞いたことがある。

写真屋さんなので写真は沢山、色々と生活ぶりが想像できる。父は結婚を考えていた女性に振られ40近くなっていたので慌てたのだ。日本で花嫁探しを始めたのだ。

記憶に残っているいることを、つなぎ合わせればさもありなんと、思うのだ。長女の母は、女学校を卒業して中津にある専門学校で小学校教師の免許をとり、田川で先生をしていたようだ。長女で年ごろになっていた母にそんな縁談が舞い込んだのだ。

年齢差二十歳、嫁ぎ先はフィリピン、普通だったらキャンセルする縁談だが、好きな人との結婚を反対されていた母は違う思いがあった。


カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:37 | コメントをどうぞ

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