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ていちゃん

ていちゃん の紹介

60歳代半ばエルボーで打てなくなり、左右ダブルハンドに変えてベテランJOPに挑戦中。

いよいよ全仏は始まったが

月曜日雨 曇り

期待の錦織はクーリザン(スロバキア)に初戦でストレート負けをきっした。
錦織と同じ世代の24歳。06年の全仏ジュニアの優勝経験を持つというだけあって、赤土を得意とするのか、左利きでサービス、ストロークを全力でたたくという打ち方。ファースト、タイブレークで落としたが、1セット目が勝負の分かれ目であった気がしてならない。

クーリザンの気迫溢れるプレーに比べれば、錦織は何となく覇気が感じられなかった。怪我のせいで万全の体調でなかったとすれば、初戦敗退残念だが、1ケ月後のウインブルドンをめざして早めの調整ができて、結果的には良かったという内容のウインブルドンにしてほしい。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:25 | コメントをどうぞ

垣根の剪定 ビワの収穫

日曜日晴れ
海外旅行1週間終えて帰ってきた翌日、こんな状態であろう。一昨日朝蘇我のホテルから送った用具が午前中に届いた。体中けだるい、長期間テニスに耐える体でないという証明をあらためた今回の関東選手権だった。

午前中、気になっていた垣根の剪定をしたが午前中かかり、疲れが重複になる始末。
自然に成長して、何度も切倒そうとして、カットしていたが生命力強くてしぶとく耐えて昨年少し実が付き、今年は予想以上に実たついたのには驚いた。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:47 | コメントをどうぞ

高尾山へ遊ぶ

早朝、孫娘たち四人で高尾山へ出かけることになった。電車を4回、乗り継ぐにつれ登山姿が多くなって、最後の乗り換えはひと駅で高尾山駅へ到着、都会からいっきに山麓へ突入した感じだった。

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電車をおりてまもなく右左に土産、そばやが並び、まさに観光地の風情だと感心しながらそぞろ歩くと登山電車の駅舎が迎えてくれた。一直線にそして緩やかにはいのぼり終点近くには斜度日本一と自慢気に表示されていた。

登山電車を下りてだらだら登りの遊歩道が山頂まで続いているようす。蛸と天狗と修験者が主役なのか道端には目につくものが三々五々と配置されている。霊山、信仰の山なのだ。歩をすすめ行くうちに立派な寺造りの建物を散見しだし、そこには参詣している人達でいっぱいであった。

登山というには物足りなさの勾配と時間で山頂らしき広場にまもなく到着。いただきの先の低地にも人だかり、眺望が良いかもしれぬと歩を進めると、なんと中空の遠方に富士が浮かんでいた。

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帰りは別のルートで下ると普通の登山道とおぼしき、左側は谷底でやっと離合できそうな細道は足場も悪くて、かなり苦戦させられ、下りとはいえ山登りをしたというお墨付きをもらった感じがした。
一度行きたいと願っていた高尾山、五月の風もさわやか季節にみんなで行くことができて幸せでした。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:00 | 1件のコメント

終日おのぼりさん楽しむ

金曜日晴れ
B4決めの試合を見たくなり電話を入れると11時30分NBというから、あきらめて蘇我駅へ向かった。特急料金510円を払うとあっという間に東京駅に、途中浦安のデズニーランドがチラッと目に入った。
早速、はとバス案内へ出かける。よく考えもせず半日コースを申し込み出発の12時までには時間があったので、赤レンガの東京駅舎の正面から踏切を渡って振り返ると旧東京駅の全体を見渡すことができた。

5月のそよ風を受けた薄緑の街路中が適宜に植え込まれた歩道、ピカピカのビルの谷間に歩を進めると帆船のレリーフが目についた。こった値打ちものに見えたので近づいてみた。

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        オランダ船「デ・リーフデ号」
本彫刻は昭和44年4月22日、オランダ王国ファン・アフト
首相来日の際、同首相よりオランダ王国政府に代わり、日
本国政府に対して寄贈されたものである。
本彫刻のモデルとなった蘭船デ・リーフデ号は、1600年4
月14日豊後臼杵湾北岸佐志生(現在の大分県臼杵市)に漂着
したが、同船の乗組員であったオランダ人ヤン・ヨース
テン・ファン・ローデンステインは、時の将軍徳川家康に
顧問として仕え、わが国ではその名も八重洲として知られ
将軍よりこの地域に住居が与えられていた。
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そのまままっすぐ周囲の構築物と雰囲気に圧知られ進むと足元に小鳥の死骸、そして向こうに石垣が現れた、皇居に違いないと歩を早める、時間に限りがある。大きな道路へ出ると反対側に向こう側に石垣、皇居に間違いないが二重橋は右か左か、左へ進むと目の前でバスが止まった巡回バスで無料とあったので飛び乗る。次が二重橋付近だと分かり下車して、右へ大きな信号を渡ると広大な皇居に向かっての展望が開けたが、行けども行けども二重橋は視野にはいらない。不安になり後ずさりしてみたが、進むしかなかった。左側奥にバスが並んでいたし、観光客も左サイド奥へと進んでいる。次の大きな信号まで来ると左手奥に二重橋が小さく見えはじめ、時計を気にしながら急ぎ足で近くまでたどり着いた。行き来する観光客、日本語はほとんどなかった、中国、韓国語に思えた。それは浅草雷門界隈の人ごみの中でも同じだった。

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急いではとバス案内所まで戻ったが、時間はまだたっぷり、二重橋でゆっくりしとけばと思ったが後の祭り。
半日コースのカタログを見直すと、皇居見物も含まれていたし、スカイツリーと思ったのは東京タワーだったのでぼくの頭は混乱し始めた。こんな場合どうすればいいのか、出発までの残された時間は20分、ダメもとで事情を話してキャンセルを恐る恐る申し入れた。彼女はクレームは付けずに、分かりました200円かかります。
スカイツリーでしたら二階建オープンバスでの1時間コースがあります、というのでそれに切り替えてもらった。
出発は1時間遅れの13時00分。

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まだ14時、孫のところへ行くには時間がありあまる。雷門、バスで前を通ったことはあるだけだ。浅草へ行ってみようと東京駅舎の中へ、案内書は持っていなかったから、まさにいきあたりばったり、案内板を穴の開くほど見つめたが「浅草」という駅名は見当たらなかった。「秋葉原」知っている駅名に誘われて目指した。「秋葉原」で下りて案内板を凝視、「浅草橋」が目についた。ここかもしれないとたどり着き、ホームからおり立ったが、それらしい雰囲気はない。どうしたものかと立ち往生していると、都営地下鉄の案内が目につき、そこに「浅草」という駅名を発見した。そしてようようたどりつき、雷門方面という出口から裏町に出てようやく雷門を見つけることができた。金曜日というに雷門から続く延々の参道、両脇の出店、すれ違うのが大変だった。ここは中国か韓国か、ぽんとおかれれば間違えそうな気がした。

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ぼくは疲れ果てていた。万歩計は2万5千近くなっている、まだ空は明るかったけれどもう動く気はなかった。残された力で孫のところを目指すのが精いっぱいだった。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:36 | コメントをどうぞ

いっぱい いっぱい

木曜日晴れ

孫娘のところを7時にたち相鉄、JR を乗り継ぎ2時間あまりで蘇我駅着。11時30分NBには十二分の余裕があった。コートへ入り5分間の練習始めると雨雲から雷ゴロゴロで待機のアナウンス。

相手のokazaki氏は100%近くフォアーに回り込みきびしいボールを打ってきた。足もある、奮闘したつもりだが、甘かったり浅かったりすると回り込み、引き付けられて仕留められていた。よく3ゲーム取ったと思えたファースト。

ストレート敗けがよぎっていたセカンドは20 21 3132 42 43 44とせっかくのリードを追いつかれてた。
リードを守ろうとしていた消極性。
並ばれて吹っ切れたようだ。2ゲーム連取して、思わぬファイナルへ持ち込むことができた。
ファイナル、必死の頑張リで何とかついて33まで行った、が、ぼくの体は悲鳴をあげていた。
あるったけの力で走り回って拾ったが、力の差か体力の差か、じゅわっと感じとっていた。そこから情けなく3ゲーム連取され36で負けてしまっていた。
ぼくは全力を出し切っていた。勝敗はいたしかたなかっが、はるばるやって来て目指したベスト4に遠く及ばなかったのは断腸の思いだった。
重いバックをコートサイドの草むらに引き上げしばらく放心したように座り込み、荷物の整理もままならなかった。
やっとこさ自分の力の限度を見た思いだった。
ここまで来て冷静に自分のテニスを見極めることができたような気もしていた。

相手のokazaki氏は同じ14でノーシード、思いは大差ないはすだ。2シード破ってベスト4進出して上を目指し、ぼくの思いを果たしてほしい。

雷待機中、oosawa氏が笑顔で話しかけてくれた。見知らぬぼくが東大テニスクラブOBのエリートを破ったと持ち上げてくれた、話し上手なKA氏はいつの間にかそばちかくにいた。O氏のダブルスパートナーgo氏も話し加わり、ここでしか知りえぬ情報などを話してくれたりした。貴重なひとときを与えてくれた雷雲は、はるばるやってきたぼくに土産話をプレゼントしてくれた。

関東選手権、初めて出たのは6年前の小田原、その時対戦した思い出の人、kuromatu氏ともお会いすることができた。

4年ぶりの遠征は自分のテニスを知ることができたし、見知らぬひととの貴重な出会いもあったりで、みのり多かった一週間ということにしておこう。

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大会三日目 雨で中止

水曜日雨 曇り

朝食を終えて外へ出てみると雨は土砂降りに近かった。
それでも会場へ行かなければならない。長方形のころ付バックには用意していたシートをのせてひもでくるくる巻いた。リックは透明のごみ袋でごまかして、覚悟して雨の路上に踏み入れた。バスに乗りいつものルートで会場の入り口に立つと遠くに見えるクラブハウスには人影はない、左右のコートへ目を移すと水がコート上を覆っていた。

近づくとハウスには人影まばら、受付に立つとガラス越しにあちらと言わんばかりに指さしている。中止の張り紙が外の窓ガラスに貼られ、中にもありますと女性が引き戸を開けてくれた。

昨日帰りがけに受付で確認した。「明日は雨でも来るんですね」と問うと間違いなく「お願いしますといった」。
それにしてはあまりにも来ている人が少なすぎる。二三人しか目につかないし、奥にいるのかと回ってみると人影なし。会場に来なくても中止の情報は、伝わるべき人には伝わっていたに違いなかった。

さてどうしょうかとしばらく留まって考えた。雨は上がり一瞬陽光が刺した。バッグのシートを外し雨後の始末をしてたりしていた。

メールが入っていた。「頑張っているようですね。」「今会場についたところです。雨で中止になりました。」
「これからどうします。遊びに来ますか」「荷物が預けられたら考えます」

ぼくの大きなバックは駅の四角いロッカーにはお呼びでなかった。セブンイレブンにも尋ねたがだめ、今日の宿の予約は満室で2件断られる。もう今夜は孫のところに泊まるのがベターだと決断して、最後の手段、明日ののホテルの予約を入れると一軒だけOKをもらい、荷物も預かってもれることになった。

リック一つ、身軽になって蘇我駅からyokohamaを目指した。明日は11:30ℕB。

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二回戦辛うじてクリア

蘇我駅西口も降りるとバス停に続いている。
10時10分のバスに乗ろうたどり着くと、テニスバッグを持った人が不安げにしていたので、昨日バスを利用していたぼくは助け船を出した。75歳に出るというので名前を尋ねるとoosawaと名乗ったのでびっくり。
まさかのぼくの対戦相手だった。ぼくが対戦者だと知ると相手の予想と違ったらしく、口ごもって一瞬表情が変わったが、思わぬ奇遇に二人で苦笑いした。
三つ目の蘇我神社というバス停で下車、会場まで案内をしてから、次にあったのはネットを挟んでいた。

9〜12のシード選手、キャリアはある程度分かっていたがこの年齢での年齢差でいけるかもとコートにたったが、じゅわじゅわと真綿で首を絞められるように、しぶとさと強さを見せつけられていった。

スコアほど簡単ではなかったがファースト61。セカンドは球筋を微妙に変えてきたりして混戦になっていった。
1ゲームリードも44と追いつかれ45とリードを許していた。キープして55、キープされて56。

ぼくはがまん出来ずにここでトイレ休憩をコートサイドにいたローピングアンパイヤに申し入れたが、セットが終わるまでと拒否され、ベンチの相手には余裕がうががえた。
ファイナルを覚悟して勝負を急ぐと、1ポイントも許さず66タイブレークへと突入できた。30 31 32 42 43 44 54 55 65 66 76 86
ホアーの両手打ちクロス、相手のバックサイドへ打ったボールを相手はバックでストレートえ狙ってきたがサイド大きく割っていた。瞬間小さなガッツポォーズをして握手を求めに行った。
ファイルになったら自信はなかった、3時近くなっていたから2時間以上は戦っていたはすだ。
ケイタィより

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関東選手権75 1回戦

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11時30分NBの試合は前の試合がファイルへ突入したため思ったより遅くなってしまった。
晴天、海辺にしては風はない。絶好のテニス日和だった。

ファーストは62、セカンドもそのペースすで進んでいるかにみえた。31リードから32とされたのはファーストと同じ、そして424353とサービスフォーセットと追い詰めたが、相手の必死の抵抗とぼくのチャンスボール2本のミスで54、コートチェンジのあいだ考えてはいけない事がよぎっていた。
ファイナルでなんとか勝ちはしたが、体力を使い果たし翌日はもろくも敗退したことなど。

勢いづいた相手に55と追いつかれていた。

ファイルでの危惧をおかしたくないぼくは必死で走り回っていたにちがいない。
サービスをブレークして65、できが悪くなってサービスゲーム、危うい場面もあったがサーティオールに追いつきそして4030、ついにマッチがやって来た。ラリーを続けていると相手のボールがネットをゆらした。一勝の重みを受け止めた。はるばるやって来たのには、それなり目標がある。

宿に戻り近くを歩くとステーキやが目についた。屋号「天草」に引き寄せられ入った。
活力源は肉だという見聞がなぜか頭に浮かんで探していた。
タイマイを払い久しぶりステーキを口にした。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:49 | コメントをどうぞ

青空に白い富士

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久しぶりの飛行機に緊張感、便秘がべんぴをよぶ。座席ご希望おありですかとカウンターの制服のこはあえて言うのだ。あれば窓側に決まっている。

気がつけば真っ白な雲海の上を飛行機は飛んでいる。そろそろと思える頃なの富士の姿は見あたらす諦めかけた頃、薄曇の向こうに姿を垣間見た。冬山と同じ真っ白な勇姿だった。

およそ1時間半のフライで羽田着、ターンテーブルでコロツキのバッグを引きずりおろして、出口を目指し表に出ると、そこはバスターミナル、近くに蘇我行き乗り場が用意されたようにあって、10分もせず蘇我行きバスがやって来た。

運賃1550円安くはないが、一度通って見たいと思っていたアクアラインを経由することがバスに乗って動き出してわかった。蘇我に住んでいたというテニス仲間はアクアラインは通らないはずといっていたが期待は裏切られていた。地下道をくぐり抜け浅瀬の海らしいところを突き抜けて何処までも走るかに見えたが高速からようやくしておりた。50分ぼどて目的蘇我駅に到着したのはチェックイン15時までには30分ぼどまがあった。

荷物を置いて会場まで歩くと十二分な距離。広大な広場にクラブハウスの左右10面のコートが並ぶ、そういえば北九州市のコートも松本市も負けじと長かったなあと思いおこしていた。
ケイタィより送信。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 19:52 | コメントをどうぞ

ひぐらし、おのぼりさんの準備

土曜日晴れ

目覚めると鼻が詰まっていて、体も重い。ぼくの体調のバロメーター鼻の調子がおかしいし元気が感じられない。昨日鼻水をたらしながらサービスの練習したのが、影響しているかもしれない。たいしたことないと思ったけど。

今日も終日家で過ごした。コロ付の大きなバッグを押入れの上から下して、畳の上に持ってゆくものを並べてみた。シャツ8枚、長そで2枚、短パン3枚、パンツ4枚、靴下4足、朝夕は寒そうなので薄い毛糸の長そでとチョッキ各1枚、手足のサポータ等入れたかばん小ー2個、シューズ2、サンダル1、洗面用具一式(小物入れ)
クーラの小などなどもろもろ。ナップサックにまず衣類を入れてテニス用のリックに詰め込み、それを長方形のバッグに押入れ、空いているところに残りを押し込むとコロ付の大きなバッグはパンパンに膨れ上がった。
大事なラケット3本はバッグの横に差し込んでいる。

明朝、これを引っ張って千葉市に出かけるのだ。久しぶりのおのぼりさん。どうなることやら。

近くの駅から大津駅まで行き、待機している無料送迎タクシーで空港まで。羽田の第二ターミナルバス停からバスで蘇我駅まで15時前後には到着予定。ホテルにチェックインして、そこから歩いて20分という会場まで行ってみる予定。19日月曜日11時30分NBとなっている。天気はどうなんだろう。

・ていちゃん 2ちゃんねるの記事をまとめたブログです。

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フルーツメール
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カテゴリー: ベテランJOP | 投稿者ていちゃん 22:03 | コメントをどうぞ