前回のGSSパンサーの続きを旧ブログから抜粋です。
『大学3年を迎え、3大学(学習院、立教、上智)の新入生勧誘も順調に進み、人数だけは、一人前のサークルになりました。
しかし、運営方法はいろいろと議論があり、大学の授業そっちのけで(これが後に大きな問題になったのですが、この当時は全く気にせず)、3年生を中心に話し合いをしていました。
午前中は喫茶店で打ち合わせ、午後はテニス、夕方から深夜までは、飲みながら、また話し合いと、朝から晩まで、GSSパンサー一色でした。
和気あいあいのサークルでいくのか、テニスに強いサークルを目指すのか、その中間か、対外試合どうするか等々です。(その間に、誰々が可愛い等ももちろん出ていましたが)結局、結論は出ないまま、なんとなく活動は続いていきましたが、次に初の夏合宿の問題が出ました。早いサークルは、夏合宿終了時に来年の予約をし、遅いところでも、春合宿終了時には、予約に入るのに、大幅に遅れてしまいました。(合宿の話は次回へ続き。)
なお、この頃の私のラケットですが、テニス雑誌の影響で、海外プロの影響を受け、当時2万円以上するコナーズ使用のウイルソンのスチールラケットT2000や、アーサーアッシュが使っていたヘッドのアルミ製ラケットです。
当時の国産ラケット(ウイニングショット等)が6~7千円でしたから、すごい出費です。(もちろん丸井のクレジットでしたが)でも、コナーズ使用のT2000は使いにくかったな。基本的に、スライスのコントロールテニスだったので、完全に間違えてましたが、当時のコナーズへの憧れですね。
(T2000は、どこかへいってしまいましたが、今持っていれば、10万円の値段がつくと聞き、惜しいことをしました。)
ちなみに、他のメンバーもボルグ使用ラケットや、上下フィラで揃えたり、やはりサークルでしたかね。』