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盆梅祭

大府で盆梅祭を開催しています。
14日午後3時まで。

いわゆる盆栽、梅シリーズなんですが、大きな梅が良く大きな古いお家の大きな庭に見受けられるじゃないですか。道から、見上げる感じで。
それをある意味、見下ろす、あるいは肩を並べて眺めるチャンスです。しかも、気高い香りをそばで体感できるチャンスです。毎年恒例の行事の中でも、とても好きです。

梅だけではなく、丹精こめて育てた方の話を聞くチャンスでもあります。
昨日は、目の前にある梅が、150年盆栽のままあるということ。
枝ぶりに一つアクセントのある梅が不思議で、そのことを母と話題にしていたところ、毎日少しづつ矯めて矯めていくとのこと、自分より年若い人間が自分の枝ぶりをいろいろ工夫しているのを梅の精が存在するとしたら、どう感じているのだろうか?と変な想像をしてしまいました。
例えば、フェデラーのような優れた方と、そのコーチ、みたいな感じでしょうか。
自分の矯正に、心の中で怖れ(かえって悪い方向に向かってしまわないか)を抱きながら、きっちり指導しなくてはいけません。フェデラーは、ある程度完成しているけれど、金の卵を発見してしまったコーチがいたら、大変でしょうね。

また、もう一つの話。
150年を超える盆栽の梅は、その長命故に、一人の愛好家だけでお世話しているわけではないのだそうです。なるほどね、と頭では分かります。
ご老人が言いました。
「大事にして、大事に共に生きて、いざ自分は、いよいよ?と感じてしまうと、
その梅を譲るのです。」と。
「この梅も、自分が先人より譲り受けた梅なのです。」と。
大きな歴史の片隅で、梅の小さな盆栽の、小さな歴史。
でも、貴い歴史。
人間なんて、ちっぽけだなぁとも思います。が、若い学生さんが、もし倒れそうに死にそうになっていたら、会場にいたご老人も皆、その貴重な盆栽の梅を投げうってでも、その学生さんを助けるようです。
梅は、貴重ですが、枝を間違えて落としてしまうこともある、それこそ損なうこともあるそうです。惜しむけれど、でも、まだ梅はかけがえがあります。
人は一人ひとり、かけがえがないのです。

他の人類が何億人生きていこうと、あなたも私も一人ひとり貴重です。
梅に頭を垂れても、梅の素晴らしい姿に圧倒されても、私はこのちっぽけでダメダメなブリ婆の存在で、その存在の続く限りでは、精一杯頑張りたいと思います。
(ある意味、長く譲り譲られる、存在でなくて、)お気楽な存在で良かった*\(^o^)/*。

今週は、雨やら祝日やらでテニスできなかったので、今日は少し自主練習してきます♪
頑張りますo(^_^)o。

カテゴリー: 日常 | 投稿者ブリ婆 | コメントは受け付けていません。