記念すべきGSSパンサーテニスクラブ50周年会では、後輩から創設当時の質問も受けました。
このブログの前(旧ブログと表示されていますが、2009年頃から)では、GSSパンサー発足前から発足、軌道に乗るまでの紆余曲折を記載していました。そこで、50周年にあたり、リマインドで、多少修正して、再掲載したいと思います。以下「 」内です。
「ますは、GSSパンサー発足までを。
学習院大学へ入学し、いろいろなサークルの勧誘がありましたが、テニスサークルをなんとなく考えていました。
高校時代、軟式テニス部で挫折した経験があり、大学に入ったら、もう一度今度は硬式テニスでと考えていたからです。当時の学習院大学には、体育会のほか、サークルが3つ(オッター、サン、理学部)があり、何となく、一番勧誘が強かったサークルの新歓コンパに参加しましたが、まだよく飲めないお酒をたくさん飲んだだけで、何か合わないところがあり、結果、入りませんでした。
しかし、テニスへの希望だけは消えず、大学の授業でテニスを選択するとともに、テニススクールへ通いました。ラケットは、今はやっていない、ヤマハのウッドで、特に理由はなく、スクール費用もあり、金がなかったので、丸井のクレジットで一番安いという、今から思うとすごい理由で選んでしまいました。大学2年になり、サークルでテニスをやる思いがますます強くなり、いっそのこと、自分で作ってしまおうと思いました。しかし、1人では、出来ないこと、他とは違うサークル、当時は珍しい複数大学のインカレサークルと思い、中学の同級生で立教大のS君、上智大のK君、学習院大で同じクラスのM君、その友人のS君とで、立ち上げました。まず、部員を集めなければなりませんから、それぞれの大学で勧誘し、さらに今から思うとどういう経緯か覚えていませんが、共立女子大からも勧誘し、4大学で活動が始まりました。まだ、名前もなく、テニスも素人集団で産声をあげたのです。」









