走馬灯のように、22歳の別れ

この前の金曜日の夜、平日夜の癒しで、整体ボディケア+足裏マッサージへ行ってきました。

たまたま、夜の最終時間が空いていたので、1週間の疲れを癒そうかなと。

このマッサージ店では、快感で、ついウトウトして、半分寝ているような状態でマッサージを受けるのですが、この日は、BGMで、約40年前の日本の歌(歌詞なし)がかかっていました。

卒業写真、学生街の喫茶店、そして22歳の別れ等等で、ウトウトしながら、学生時代の思い出が頭の中をかけまわりました。

そして、私にとっては、たぶん一生で一番、インパクトの強い思い出が思い出されました。

大学4年の後期試験が終わって、車の合宿免許教習から、返ってきた翌日からの数日間です。

まず、その翌日が後期試験(および卒業)の発表で、大学の掲示板で、自分が卒業必修を落としていて、留年となること。

次に、留年ということは、内定していた企業へ連絡し、就職がだめになること。

さらに、留年、就職だめのあと、当時付き合っていた、彼女から、別れを告げられたことです。

卒業、就職、彼女を失うという、もう目の前が真っ暗になる、3重苦でした。

その後、大学の担当教授に話しにいきましたが、結論は変わらず、留年確定。

彼女とも何回か話をしましたが、もう気持ちは変わらないとのことで、泣く泣く、別れ決定。

ただ、唯一の救いは、内定先(テニスメーカー)が正式入社を1年待ってくれるという配慮をしてくれたことです。
(留年した理由が、テニス同好会(GSSパンサー)の設立、運営、大学内テニス同好会連盟の設立、運営等であったことが評価されたようでした。)

マッサージ店BGMで、卒業写真、22歳の別れを聞いて、無意識に思い出してしまいました。

いや~、あの時の辛い思いは、何度思い出しても、今のところ、人生一番の辛さでしたと、今となっては、懐かしい思い出でもありますが!


カテゴリー: 日記 | 投稿者レオ 17:56 | 3件のコメント