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元女子世界ランク3位のナディア・ペトロワが自身が引退を決断するに至った怪我と母親の死について語っていたの。
「自分はアスリートの家族に生まれた。母は1976年モントリオール・オリンピックの4×400メートル・リレーの銅メダリストで、父はハンマー投げのオリンピック・メダリストのコーチをしていた。自分のDNAにはスポーツが入っていた。両親がテニスを勧めてくれてすぐに成功を収めるようになった。」
「14歳で初めてITFのジュニア大会で優勝すると、プロとしてプレーしたいと思っている自分に気付いた。ジュニアからプロのサーキットへ移行するのは簡単ではなかった。それは、肉体的にも精神的にもレベルを上げなければならなかったから。段々そのレベルも上がり、17歳でプロになった。」
「2005年にトップ10入りを果たすと、2006年には世界ランク3位にまで上り詰めた。クレーコート大会で次々に優勝して、その年の全仏オープンでは優勝候補の一人に上げられていた。でもその後はスムーズに行かなかった。」
「全仏オープンの数日前に左股関節に怪我を負ってしまった。その怪我から自分はかなりのダメージを与えられてしまい、その後はそれまでと同じレベルには二度と戻れなかった。復帰して2006年のUSオープンへ向けての北米のハードコート大会を戦ったけど、全く勝てなかった。」
「それからの数年は、幾つかの大会で優勝することもできて、またトップ10へ返り咲くこともできた。しかし2013年に再び股関節を痛めてしまい、結局それが引退へ導くものとなってしまった。シーズンの半分を棒に振ってしまった。」
「その年の12月のある朝、突然電話が鳴り、母が交通事故で亡くなったと言う知らせを受けた。全てをそのままにしてすぐに実家へ飛んで葬儀の準備をした。」
「またツアーに戻ろうと努めたけど、そんな精神的なエネルギーはなかった。気持ちが入らなければ、体も着いては来ない。徐々に自分自身が壊れ始め、同時に幾つかの筋断裂を負ってしまった。その年の残りは休養することにした。」
「母を失ったことを消化するのは本当に難しかったし、彼女の存在は自分のテニス人生に於いて大きな役割を果たしていた。彼女は常に私のテニスが向上することを望んでいたし、必要と思えばとても厳しくもしてくれた。色々教えてくれた人を失ってしまった。」
怪我で苦しんでいたところに、精神的な支えでもあった母親を突然事故で亡くしてしまったことが、引退の大きな引き金になってしまったなんて、辛いわね。
今はペトロワも母親になり、第2の人生をスタートさせているわ。そんな彼女の第2の人生に、幸多かれ!