練習は裏切らない!

テニスの上達度というのは、非常に分かりにくいと感じています。

全くの初心者が打ち方を覚え、各ショットを打てるようになるという段階までは、目に見えるのですが、その後が分からない!

練習で、球出しボールや、ラリーをする際は、打ちやすいボールを、自分の思い通りに打つ。

しかし、試合では、全て、打ちにくい所へボールが来るので、そういうボールを、自分の思い通りに打てるようにする。

さらに、打ち方だけではなく、相手の配球に応じた、フットワーク、フォーメーションを取れるようにしなくてはならない。

一体、どうしたら、試合で活かせるレベルの上達が出来るのか、大きな課題です!

そんなことを日頃考えていますが、目からうろこですが、やはり、練習しかない。

ただし、練習の目的を持ち、試合と練習とのフードバックを欠かさずに行う。

先日、とある試合を見ていたとき、練習を積み重ねた人が、ある意味覚醒して、一段、上のレベルへ到達したなと感じたことがありました。

あらためて、練習は大事、練習は裏切らないと思った次第です。

*ドラゴンボールで言うと、覚醒した方は、サイヤ人からスーパーサイヤ人(1)になったと。

スーパーサイヤ人は、(1)→(2)→(3)→(4)→(ゴッド)→(ブルー)→(ロゼ)とレベルアップします。

私は、今、(3)くらいかな、(1)の方に負けないように、さらに、ゴッド、ブルーを目指して練習していきます!

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カテゴリー: テニス技術 | 投稿者レオ 18:49 | 1件のコメント

いよいよGSSパンサー発足(旧ブログから)

前回のGSSパンサー発足前の続きです(旧ブログからの抜粋)。

『初代のキャプテンは私がなりましたが、ほぼ素人集団ですから、どういう練習メニューをしたらいいのか全くわかりません。当時のテニス雑誌は、スマッシュとテニスマガジンの2冊で、大学の授業はそっちのけで、一生懸命テニスの勉強をしました。ただ、この当時はテニス界の一大転換期でした。ちょうど、ウインブルドン決勝で、ローズウォールがコナーズに完敗した頃でしたが、まだ、両手打ちバックは邪道という時代でした。

次に、コートの確保がわからない。テニスクラブは高いだろうから、公営コートを調べ(今みたくネットで調べられないので、結構大変)、発起人の多くの家に近いという理由から、東京の北区、板橋区の公営コートを抽選で申込み、何とか確保できました。

そうこうしているうちに、大学3年を迎える頃になり、本格的にいわゆる新勧(1年生の勧誘)をどうするかで、サークル名、体制を考えなくてはならなくなりました。いろいろな意見があったのですが、学習院、立教、上智は、比較的学風も似ていて、共学大学。共立女子大は、もちろん女子大で、ちょっと学風も3大学とは違うので、今となっては申し訳ない気持ちですが、サークルからはずれてもらいました。

そうして、次にサークル名です。当時、ピンクパンサーという映画が人気でした。でもピンクパンサーテニスクラブでは、ちょうと恥ずかしいので、3大学の頭文字をとり、G(学習院)、S(立教のセイントポール)、S(上智のソフィア)で、ついに、GSSパンサーテニスクラブが発足しました。』

カテゴリー: GSSパンサー | 投稿者レオ 20:03 | コメントは受け付けていません。

ガットで別ラケットに!

ガット張り機を購入してから、ガットをいろいろと代えてみました。

ラケットは、同じ、ウィルソンのスチーム100リミテッドですが、

張り替える前は、ナイロンマルチ(ATG850)、

そして、ポリとナイロンマルチのハイブリッド、ポリとナイロンモノのハイブリッド、さらに、ナイロンのモノマルチ(XR3)と代えてみました。

さらに、XR3は、ゲージを1.3と1.25を張りくらべてみました。
(私には、XR3では、1.25が、柔らかさと反発を両立し、マッチしていると感じました。ただ、細いので、耐久性の問題がありますが)

さらにさらに、以前は、ナイロンモノ(ミクロスーパー)、ポリ(4G)も張ったことがあります。

正直な感触は、ラケットが別物に感じられます。

ラケットを代えると、打感が変わりますが、それと同じくらい、ガットを代えると打感が変わります。

同じ種類(ナイロンから、ナイロン等)でも、多少の違いを感じましたが、ポリだけや、ハイブリッドでは、全く別のラケットと思えるほどです。

こうなると、ラケットを買い換えるより、ガットを張り替えた方がいいのかなと思うくらいです。

まあ、自分のテニスにマッチするガットという条件付ですが。

カテゴリー: テニス用品 | 投稿者レオ 20:44 | コメントは受け付けていません。

GSSパンサー発足前(旧ブログから)

このテニス365のブログは、2013年の夏頃で、迷惑コメント等の対策がされ、それ以前のブログは旧ブログとして、全く別になってしまいました。

私の今のブログも、2013年9月から現在に続き、その前に、2009年から2013年までの記載が旧ブログにあります。

12月2日にGSSパンサーOB会で、クラブ発足から軌道にのるまでの話しもしましたが、旧ブログに詳しく記載していたので、そこから抜粋(多少修正も)して、もう一度記載します。以下の『』です。

『学習院大学へ入学し、いろいろなサークルの勧誘がありましたが、テニスサークルをなんとなく考えていました。

高校時代、軟式テニス部で嫌な経験があり、大学に入ったら、もう一度今度は硬式テニスでと考えていたからです。

当時(昭和50年)の学習院大学には、体育会のほか、サークルが3つ(オッター、サン、理学部)があり、何となく、一番勧誘が強かったサークルの新歓コンパに参加しましたが、まだよく飲めないお酒をたくさん飲んだだけで、何か合わないところがあり、結果、超短期で退部となりました。

しかし、テニスへの希望だけは消えず、大学の体育の授業でテニス(もちろん硬式テニス、さすが学習院)を選択するとともに、テニススクールへ通いました。

ラケットは、今は撤退している、ヤマハのウッドで、特に理由はなく、スクール費用もあり、金がなかったので、丸井のクレジットで一番安いという、今から思うとすごい理由で選んでしまいました。

大学2年になり、サークルでテニスをやる思いがますます強くなり、いっそのこと、自分で作ってしまおうと思いました。しかし、1人では、出来ないこと、他とは違うサークルと思い、中学の同級生で立教大のS君、上智大のK君、学習院で同じクラスのM君、その友人のS君とで、立ち上げました。(いわゆる創設の初代1期生です。)

まず、部員を集めなければなりませんから、それぞれの大学で勧誘し、さらに今から思うとどういう経緯か覚えていませんが、共立女子大からも勧誘し、4大学で活動が始まりました。まだ、名前もなく、テニスも素人集団で産声をあげたのです。』

以上が旧ブログの第1回目の記載内容です。ここから、GSSパンサー発足へと続きます。

カテゴリー: GSSパンサー | 投稿者レオ 20:05 | 2件のコメント

テニススクールでの出来事2つ!

12月3日のテニススクールでの出来事2つです。

まず、前日がGSSパンサーOB会でテニスが出来なかったので、通常クラスの前のクラスへスポットで入りました。
きょうど12月がスクール12周年で、通常3000円位のスポットレッスンが、1人3回に限り、1212円というキャンペーン中です。

ただ、通常クラスの前のクラスの通常レベルクラスは満杯で、1つ下のレベルのクラスへ入りました。
そして、そのクラスでは、パターン練習のモデルもおおせつかりました。

ポーチ練習では、最初の深くセンターへ打つボレーを私が打ち、前衛がポーチへ出る。
ストレートアタック対策練習では、最初のボレーを私がサイドライン側へ打ち、相手後衛がストレート、そして前衛がそれをボレーで止めると。

他のレッスン生が見ているので、失敗はマズイと少々緊張しましたが、一応、合格点レベルのボレーが打てました。

次が、通常クラスのレッスンで、コーチがネットの高さの倍までのコースを狙いましょうと。
そして、コート中央の高さを知っていますかと聞き、他のレッスン生が、91センチと答えました。

すると、コーチが、91.?センチですかと聞きなおし、誰も答えられなかったので、私が、91.4センチですと答え、正解でした。

ちなみに、アシスタントコーチも知らなかったということで、面目躍如?でした。

まあ、サークルで一緒の岩娘さんは、私が、サークルで毎回、メジャーでネットの高さを調節しているのを見ているので、不思議には思わなかったようですが、コーチからは、よく知っていますねと、お褒めの?お言葉をいただきました。

カテゴリー: テニススクール | 投稿者レオ 20:00 | コメントは受け付けていません。

テニスプロはつらいよ(完結編)

過去2回記載しました、書籍「テニスプロはつらいよ」の感想の完結編です。

最後は、この本の主人公の関口プロではなく、本で紹介されている、その他の選手の動向です。

関口プロと同年代の選手で、インカレで優勝し、全日本でも上位へ行った選手が、周りは、当然プロになると思っていたのが、学生テニスを最後に引退すると、民間企業へ就職し、今は営業職で飛び回っていると。

『プロか就職かの狭間で心が揺れることもあった。

しかし、プロになった自分を想像してみると、世界ランキングが150位~200位の自分はイメージできても、100位以内にいる自分がそうしてもイメージできなかった』と。

そして、もう1人。全日本ランキング1位、全日本優勝経験者の言葉です。

『何でテニスを選んでしまったんだろうーーーと思うことがあります。

野球やサッカーなら日本で一番の選手のことは誰でも知っていると思います。たとえは変ですが、インターハイを獲ってプロ入りした時点で、僕は野球ならドラフト1位選手のようなもの。

だけど、僕が街を歩いていても誰も振り返ることはありません。日本ランキング1位になっても、全日本を獲っても僕のことを知らないのです。

結局テニスは、グランドスラム大会で活躍してなんぼの世界なんですね。だけど、そこまでがあまりに厳しい。子供のときにこんな厳しい世界だと知っていたら、テニスではなく野球を選んでいたかもーーー最近、そんなことを思うんです』

この本を読んであらためて、テニス(特に日本のテニス)選手の過酷さが伝わってきました。

この実態がわかると、とても、自分の子供(孫)をテニス選手にしようとは思えないほど、厳しい現実がありました。

結局、4回読み返しました。テニス愛好家の必読書と推薦します!

カテゴリー: テニス一般 | 投稿者レオ 22:58 | コメントは受け付けていません。

GSSパンサーOB会で!

12月2日(土)は、毎週土曜日のテニスサークルはお休みし、GSSパンサーOB会へ参加しました。

集まったのは、私達初代の1期生から6期生までの30名超のOBで、半数以上は、卒業後初めての、40年ぶりの再会で、最初名前と顔が一致しませんでしたが、話をすると結びついてきました。

約3時間でしたが、この時間は、時を遡るように、まるで40年前にタイムスリップしたような楽しい時間でした。

感想、印象、その他もろもろとして、まずは、やや残念なことから、
・立教大学がGSSパンサーから抜けた、時期、理由は、残念ながら分かりませんでした。

・現在もテニスを継続している人が少なく、毎週テニスをしているのは、私含めて3人位でした。

次は、嬉しいこと
・後輩の女性から、現役時代は、先輩(私です!)に憧れていたのですよと言われたこと。
(う~ん、40年前に言って欲しかった!)

・5期生までは現役時代一緒にテニスをしたのですが、6期生とは接点がありませんでした。その6期生の女性から、先輩がGSSパンサーを作ってくれて、こうして私達がいるので、感謝していますと言われたこと。
(やや暗い会場で気づかれませんでしたが、思わず、涙ぐむ位、嬉しかったです!)

今回、冒頭の乾杯の挨拶は、創設者ということで、私が行い、その挨拶では、このブログの紹介をしました。
あまり、知られていないようですが、これから、アクセスが増えると思うので、GSSパンサー関係の記載も増やしていきます。

最後に、いつもの、顔が映っていない写真です。(顔を映さないのは難しい!)

懇談や期別の集合写真などです。

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いや~、本当に楽しかった!また、次回が楽しみです!

カテゴリー: GSSパンサー | 投稿者レオ 22:55 | コメントは受け付けていません。

大阪の夜

今日は、大阪へ出張し、ちょっとした講演を行いました。

個人名が記載されているので、案内書はこのブログでは公開出来ませんが。

一応、無事に講演は終わり、評判も上々だったようです。
(話しながら、出席の顔を見ての自己評価ですが)

で、今日はそのまま帰宅はせず、大阪の夜の懇親会!

そして、明日は午前中一仕事終えた後、GSSパンサーの後輩が勤務している某大学へ行きます。

もちろん仕事ですが、この後輩は、12月2日のGSSパンサーOB会には、出席しない後輩なので、ちょうど会う良い機会かなと、タイミングが合いました!

*今回はあまりテニスに関係しないブログですが、では、では、今日は異様に気温が高い大阪の夜へ!

カテゴリー: 日記 | 投稿者レオ 20:50 | コメントは受け付けていません。

11月公式戦?最後

11月の公式戦?4大会の最終戦が、26日のスクール内ミックスダブルスでした。

いつもどおり、12ペアが3チーム毎に4ブロックに分かれ予選、1位と2位が本戦へ、3位が3位トーナメントへという形式です。

予選の第一試合は、毎回上位進出する相手でしたが、もう慣れてきたのか、強打に対しても、それほどのプレッシャーは感じず、いつもどおりでプレーしだすと、リードでき、4-2と勝利目前(6ゲーム先取)となりましたが、

ここで、相手があきらかにギアを代えて、微妙にペースが代わり、4ゲーム連取され、4-6で敗戦。

こちらはリードしていたので、ペースは維持していましたが、相手のペース変更に上手く対応できず、惜しい試合を落としました。

続く、予選第二試合は、サークル仲間で、あまりに知っていてやりづらく、最初リードを許しましたが、ここでは、マイペースで6-3で勝利、本戦へ進みました。

本戦第一試合、何回か対戦している相手でしたが、男性の強打がかなり決まり、対抗するもゲームがとれず、2-6で敗退でした。

課題としては、もう少しリスクを取るべきかな?

私のテニスは、安定重視なのですが、例えば、1発で決められるボレーを持っているので、失敗のリスクを犯しても、行くべきか?
本戦で、1-5となり、追い込まれた後、立て続けにボレーへ出て、決め、結果、このゲームは取れました。
こうしたことをすべきか、しかし、やりすぎると自滅するので、その加減が問題で、悩みます。

しかし、予選第一試合、また惜しい接戦で負けました!
本戦一回戦の壁が破れない!
この打破には、リスクを取って、ハイリスク、ハイリターンを狙うか!

なお、試合結果には反映していませんが、くじ運がやや悪かったかな。
予選A~Dの4ブロックの最後のDのさらに最後の3番です。

初戦が始まるまで、1時間30分待ち、初戦が終わると、続いて予選第二試合を行い、さらに私たちの試合が予選最終試合だったので、そのあと、すぐに本戦と、3試合連続となりました。

さすがに、本戦の前に、3分間のトイレブレークを頼みましたが、少々、疲れました。

以上で、11月の1か月間に4大会という、ツアープロみたいなスケジュールが終わりました!

カテゴリー: テニス一般 | 投稿者レオ 20:55 | 3件のコメント

GSSパンサーの謎を解明したい!

12月2日に、GSSパンサーテニスクラブのOB会があります。

OB会といっても、私達初代1期生から、だいたい7期生までのOBが集まるのですが、この代のOBは、学習院、上智、立教の各大学OBです。

私達が創設したGSSパンサーは、学習院のG、上智のソフィアのS、立教のセイントポールのSと、3大学の頭文字をとって命名したものです。

それが、現在は、学習院と上智の2大学になっていると。創設から40年以上、クラブが続いていることは、大変うれしいのですが、いつ、なぜ、立教が外れたのか?

これが、GSSパンサーの話しになるとき、どうしても気になります。すっきりしないのです。

このブログは、最近は、今の私のテニスが中心ですが、ブログ名にGSSパンサーとつけているので、もしかしたら、立教が外れた当時のOBも見ているかもしれません。

立教OBだけでなく、外れた当時の学習院OB、上智OBで、時期、理由を知っている人がいたら、ぜひ、このブログのコメントへ記載してほしいと思います。

コメントは、私が承認しない限り、公開されませんので、公開不都合であれば、その旨を書いてもらえれば、公開しないようにします。

いつも頭の片隅でモヤモヤとしていましたが、OB会まで1週間となり、あらためて、猛烈に知りたくなり、記載した次第です。

ぜひ、待っています!

カテゴリー: GSSパンサー | 投稿者レオ 18:30 | コメントは受け付けていません。