緊急事態宣言が出て、日常生活はもちろんですが、テニスコートがどうなるかも心配になりました。
そこで、まず、テニスをする可能性のある市町村のホームページで、市営コートの状況を調べてみました。
・千葉市:時間制限するも可能
・佐倉市:時間制限するも可能
・八街市:記載が見つからず
・市川市:スポーツ施設は休館(屋外のテニスコートは含まれるのかは?)
以上、同じ県内でも対応が異なるようです。
緊急事態宣言が出て、日常生活はもちろんですが、テニスコートがどうなるかも心配になりました。
そこで、まず、テニスをする可能性のある市町村のホームページで、市営コートの状況を調べてみました。
・千葉市:時間制限するも可能
・佐倉市:時間制限するも可能
・八街市:記載が見つからず
・市川市:スポーツ施設は休館(屋外のテニスコートは含まれるのかは?)
以上、同じ県内でも対応が異なるようです。
毎年、年賀状のやり取りをしている1人に、学習院大学の1学年下の後輩がいます。
と言っても、GSSパンサーの後輩ではなく、別の学習院大学のテニス同好会の人で、第1回の学習院大学テニス同好会選手権(学内の全同好会が参加)の男子シングルスの優勝者です。
(大学時代は、テニスで負けていましたが、その後30歳前に対戦した時は、勝ったこともありました。)
後輩とは、私がカワサキラケット時代に、私が担当したテニススクールのコーチとして、何回かアルバイトをしてもらい、その以降の付き合いです。
(もっとも、30歳以降は、年賀状のやり取りだけですが)
その後輩からの今年の年賀状では、「千葉の大会で会いましょう」と「クラブで〇〇さんとテニスをしています」と記載されていました。
後輩は千葉県以外に住んでいるのですが、結構、いろいろな大会に出ているようで、検索して、ビックリ!
関東オープンのシニアミックスで優勝していました。
そして、クラブで〇〇さんというのは、カワサキラケットで私の先輩社員だった人です。(インカレ上位経験者。カワサキラケット時代は、テニスでは全く相手にしてもらえませんでした。)
ただ、学習院の後輩は、直接、カワサキラケットの先輩との面識は、なかったので、たぶん、私が間に入る形で(後輩ー私ー先輩)、なんらかの話で、繋がったのではないかと思いました。
そして、その先輩は、東北オープンのシニアシングルスで優勝していました。
年賀状で、意外な2人が繋がっているのが分かり、不思議な気分になるとともに、
2人のテニスの戦績に驚き、刺激を受けました。
さて、後輩から、千葉の大会(たぶん千葉県人以外の人も参加できる千葉オープンかな?)で会いましょうという誘いに、どうするか?
今年のテニスのプレー始め、いわゆる打ち始めですが、1月4日となりました。
4日まで年末年始休暇で、スクールの振り替えを予約しており、そこでの打ち始めです。
年末の打ち納めが29日ですので、ブランクは5日間で、通常の日曜日にテニス、翌週土曜日にテニスでの5日間と一緒ですので、ほぼブランクを感じませんでした。
まあ、あえて言えば、ほぼ家にいて、運動不足だったくらいです。
そして、ガットの打ち比べもしてみました。
2本張りと1本張りを交互に打ってみました。
ただ、ラケットが違う(ウルトラ100CVブラックに2本張り、スチーム100リミテッドに1本張り、ガットはXR3を同じテンション)ので、比較が微妙ですが、感触は、2本張りの方が私の感触に合っていました。
2本張りの方が弾きが良く、ダブルス向き、1本張りは球持ちが良く、シングルス向きかなと感じました。
結果、やはり2本張りで、いこうと思った、今年の打ち始めでした!
テニス始めと言っても、プレーではありません。
ガット張りです。(これもテニスの一部であることは間違いありません)
ガット張り自体は、年末の休みに、サークル仲間のラケットと、自分の今使っているラケット(ウルトラ100CVブラック)の2本を張上げました。
では、年明け何を張り替えたかというと、以前使用していた、スチーム100リミテッドを取り出し、1本張りの練習をしました。
数年前に購入したガット張り機のマニュアルが2本張りの説明となっていたこと、および、ハイブリット(縦横のガットを変える、または縦横のテンションを変える)には、2本張りでないと出来ないことから、2本張りで張ってきました。
ただ、テニススクールで、ガット張りを見ていると、1本張りで張っています。(ハイブリッドは除き)
これは、たぶん、ガットおよび張り機のメーカーのゴーセンが勧めているのが1本張りであることからかな?と思います。
ゴーセン認定のガット張り資格「張り人」は、1本張りでの審査という話を聞いたこともあります。
一方、私が使っているラケットメーカーのウィルソンは、2本張り推奨です。
結果、ガットの長さに注意しながら無事張上げることが出来ました。
打感は打ってみないと分かりませんが、張り上がり状態から、2本張りと、違いは感じられませんでした。
で、今後どうするかですが、ハイブリッドにすることもあること、慣れていることから、基本、2本張りを継続していこうと思います。
テニスの打ち納めは、27日にスクールレギュラーレッスンで終了していました。
(スクール全体のレッスンも27日で全て終了)
ただ、以前、スクール休館中のイベントで、29日に行われるものに、申し込んでいました。
しかし、仕事は29日までで、休めたら参加、休めなかったら、1375円という参加費なので、キャンセル料を払ってもいいかなと思っていました。
結果、無事?仕事を休むことが出来、打ち納めの番外編が出来ました。
内容は、球出し+ゲーム練習で、合計90分です。
最初の30分は、球出し。と言っても、ストローク、ボレー、スマッシュ、サーブと一通り軽く練習が出来ました。
後半の60分は、ペアを替えながら、20分間の時間マッチを3試合行いました。
練習ですので、自分のペースでゲームを行いましたが、それでも、多少は勝敗も気になりましたが、結果、2勝1敗と、まあまあの結果で、2020年、本当に最後のテニスが出来ました!
色々とあった2020年、コロナの影響で一時期テニスが出来ない時期もありましたが、
レギュラーテニスの打ち納めが出来ました。
レギュラーテニスとは、3つで、
毎週土曜日のテニスサークルの練習とゲーム。
毎週日曜日のテニススクールのレッスン。
月1~2回の社労士テニス同好会の主にゲームです。
まずは、12月13日に社労士テニス同好会、次に12月26日にテニスサークル、そして最後に12月27日のテニススクールのレッスンで、3つの打ち納めとなりました。
コロナで大変な1年でしたが、無事、1年間テニスが出来、一緒にテニスをしてくれた仲間に感謝する次第です。
1年間、本当に、ありがとうございました!
以前のブログ「意外と凄い経験をしてきたかも?」で、カワサキラケット時代、当時の日本のプロテニス選手と同じコートに立ったと記載しました。
福井プロ、神和住プロ等々、当時のそうそうたる方々です。
ただ、もう1つ、凄いかもしれない経験をしていました。
テニススクールのイベントで、当時の世界NO1の「ボルグ選手」と同じコートに立ったことです。
そして、ボルグのストロークはバウンドが高く、私の頭を超えていきました。
ボルグの超トップスピンが、ハードコートで、さらに凄いバウンドとなっていました!
現役で世界NO1ですから、今でいえば、ジョコ、フェデラー、ナダルと同じコートに立てたようなものです。
そして、記載出来ませんが、ボルグへのレッスン料も凄かったです。
こう思うと、わずか、2年間のカワサキラケット時代ですが、凄い経験をしたと思います。
その後は、テニス業界とは違う世界で仕事をしていますが。
毎日、楽しみに見ている、ウィルソンのTVモーニング。
通常は、ウイルソンの横山氏、道場氏(どちらも中年男性、失礼!)が、出て、ウィルソンを中心としてテニスの話題を提供してくれます。
そうしたなか、先日、若い女性が加わり、少々変わりました。
(今後も、週1位で出るとのこと)
で、どこかで見たことがあるな?と思ったところ、ミスウイルソンの1人です。
(毎年、大学テニス同好会から数人選ばれ、ウイルソンの広告塔になる女子大生)
そして、その女性は、2018年のミスで、現在は日大のテニス同好会の学生。
あっ!その年のミスには、GSSパンサーからも初めて選ばれたと思いだいました。
そう、この写真のなかの1人がTVモーニングに、今後も週1位ででるという日大の学生、そして、もう1人がGSSパンサーの後輩です。
5日(土)は、サークルテニスでしたが、朝から、雨(小雨、時々やや強く雨、止む時間も)、さらに寒いという天候。
とりあえず、開始の13時の30分前に、コートに着くと、半数のコートでテニスをしています。
これは、テニスやるしかないなと、受付へ手続きに行くと、その後、仲間も集まり、私含めて、計6名が参加。
いつ中止になるか分からないので、ウオームアップ後は、サーブだけして、すぐにゲームに入りました。
コートは2面だったので、4人が3ゲーム先取でゲームをし、残り2人は、隣のコートで練習か、休憩と。
途中、ほぼ小雨が降り続きましたが、何とかテニスが出来る状態で、日没の16時30分まで、フルにテニスが出来ました。
そして、帰りの運転中に、結構、雨が強くなり、微妙ながら、テニスの前後が雨が強いと、少々運が良かったようです。
しかし、私含めて、テニス好きな仲間が来たものでした!
またまた古い話ですが、私がカワサキラケットにいたのは、GSSパンサーテニスクラブ(学習院大学)卒業後の2年間ですが。
私は選手枠ではなく(選手枠はインカレ等経験者)、一般枠で入社し、所属が広報部で、大学同好会や一般ユーザー向けの広報活動がメインで、その関係で、テニススクール、テニス大会等の企画、運営(兼、アシスタントコーチ)と行いました。
そうした関係で、カワサキラケット所属だけでなく、様々なプロ選手と、同じコートに立てました。以下、敬称略で記載させていただくと。
カワサキラケット所属(当時)では、神和住純、福井烈、渡辺功。
カワサキラケット以外では、石黒修(石黒賢のお父さん)、平井健一、加藤幸夫、柳恵誌郎、田村伸也。
同じコートに立っただけですが(一応、ボールも打ちましたが)、日本のトーナメントプロのその時代のトップクラスと同じコートに立て、今から思うと、
私、意外と凄い経験をしていたかも!