23日が今年最後のテニスだった。でも参加者は少なかった。
まさか皇居に天皇陛下のお誕生日」をお祝いに行ったわけではないだろう。
「その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが残された私どもに課された義務であり、後に来る時代への責任」と述べられた。
政治的発言ができない陛下が言葉を選んでの発言。
アベ政権は本当に海外で武力を行使するつもりなのだろうか。敵の多いアメリカと組めば、敵の仲間は敵となるのではないか。冗談抜きでスカイツリーが標的になると思う。
アメリカとも友好関係が永遠に続くとは保証できない。そんなときは全部の敵を抱え込むことになる。
と、ぼやいてみても選挙は死票だったけど。
ところでカーラジオで今年は珍しい「さくたんとうじ」だとアナウンサーが紹介している。
さくたん?どんな漢字だろうと思って帰ってインターネットで検索してみると「朔旦冬至」とある。インターネットは便利だと思う。
いつもスマホかタブレット端末を持っておられる方は直ぐに歩きながらでもそんな情報が得られるているのだろう。
でも私はガラケーで通信料金ももったないのでインターネットは携帯では利用していない。
FACEBOOKに加入しませんかというお誘いもあるけど、しょっちゅう見ないものには相手にされないのではないかと思う。
TWITTERとかいうのでないので、応答が遅くてもよいのかもしれないが、会話的なものだったら、やっぱり適応できないのではないかと思う。
さて今年もこれが最後になりそうなので、いつも何故こんなものを書いているのか自問していることを書いてみよう。
これまで旧システムで808回、新システムで62回の記事を書いてきた。8年半で計870回だ。
今このブログサイトを見ていると、ほとんどがプロコーチやテニスの団体の代表者がようだ。個人での方は回数的に少ないかもしれないので表だって見えてこないのかもしれない。
団体の方たちは宣伝とか情報の開示とか会員とのコミニケーションとか目的があるから、続けるための動機があるだろう。
でも個人ではしょっちゅうテニスに関わっているわけではないので話題も乏しいし、日常平凡な暮らしのなかから話題を見つけて書くしかない。話題を見つけるとか文章を考えるのはボケ防止に役立っているだろうと思ってこうやって書いている。
そんなときに英語のコメントが多数寄せられた。(ますます頭を使う)
英語のコメントといえば旧システムのときも多数あって、新システムに改善されたのだと思う。新システムでも表示しないようにできるようになっただけで多数URLを羅列したコメントが来ている。
ところが今回はそうではない。
なぜか記事「感涙にむせぶ」だけにである。
これはどう受け止めたらよいのか。
日本語の文章を理解されたということか。そもそもこの話はTVのUS OPEN2014の中継番組でアナウンサーと解説者のほんの数分の場面のことで、見ていた人しかわからない、いわば楽屋落ちみたいな話である。
コメントにもその点は書かれずにこのブログはよいと一般的なコメントである。
ただの冷やかしなんでしょうか。
残り1年半で130回。もし健康であれば可能な数字だし、頑張ってみよう。
ボーナスも年金も出ないが、今を大事に生きていれば、すぐにやってくるだろう。
紅白歌合戦、おもしろくないからネット情報をみながら年を越そう。
皆様、良いお年を。