我が家のリンゴの花が咲いた。
3年目のバレリーナ・ツリーも1か所咲いた。現在樹高2m弱だが3m、4mになればたくさんの花をつけるだろう。あと2年か3年か。
さてバルセロナオープンの決勝、錦織vsナダル戦はLIVE中継を見損なってしまった。
最近は早寝早起きが習慣化してきた。誰も老いたらこうなるものか。
相変わらずTOP4(TOPO5)の壁は厚いな。ナダルも一時調子を落としていたからそろそろと思ったファンもいるだろうが、なかなかまだまだ老いないぞと宣言しているようだ。
「ドーピングのおかげでで強いんじゃないぞ」てか。ごもっとも。
さて義母がトラックにはねられ入院していたが、無事退院したので自宅に引き取ることにした。幸いなことに転倒での顎の骨折と脳出血で済んだ。(脳出血はおおごとだと思うが)
ただし眼球を支えてた部分に影響があり視力が落ちたようだ。それと認知症の傾向も。
何回も同じことを言うし、若いころの話を現在の話のようにしゃべったりする。
老々介護の始まりのようで気が滅入る。
そんなわけで退院前に郷里に帰ってみた。
実母は現在101歳。
杖は要るがそれなりに動ける。
長女(78歳?)の絵の展覧会も見て回った。
そして城跡へ。中学生時分は写生に来たし、高校生時分はクラブ活動で石段をうさぎ跳びで走らされたな。
蒲生氏郷が築城したのは400年以上も前。秀吉の家来だった頃だから、加藤清正の熊本城も同じ時期だろう。
滋賀県大津市に穴太(あのう)という地名があるが、その地域の石工が積んだのだろうか。穴太積みだろう。下から上にいくほど傾斜がきつくなる微妙に柔らかい曲線だ。
なにかのドキュメンタリーで石の声を聞いて、ふさわしい位置に置くとか。ふ~んとしか言いようがないが。東南海地震が来なければよいが。いやいつか来るだろう。そのときは・・・。
下には御城番屋敷 とその先に母校の工業高校が見える。
明治維新で地位を失った武士だが、組合を作ってそこに住む権利だけは勝ち取ったようだ。今もお住まいの方はその末裔だろうか。
学校も明治時代に創立されたから110年以上経つ。私の通った時分は木造の校舎だったが今は旧校庭に鉄筋コンクリートに変わっている。
校門左の”赤壁”の図書室がわずかにそのままに残っている。懐かしい風景だ。
城内の藤棚もそのままある。いや確か心無い人にバッサリ切られたと聞いたから一本だけになったのかもしれない。何本あったか記憶が定かでない。
藤の花の香りはするが花房はちょっと小さ目で寂しい。もっと立派だったはずだ。
今年は小さいのか、樹齢300年の老木になったからか、はたまた養分と環境の変化なのだろうか。
なにが長生きの要因なのだろうか。
どんな生物も老化し終わりを迎える。悠久の歴史からみれば50年100年そんなに違いはないのだろう。今を大切に生きることを考えればよいということか。