東レPPO観戦の前にめったに来れない東京を観光した。
あいにくの小雨で傘をさしながらである。
降り立った東京駅、格調高いね。これも文化遺産だと思う。
まず目指すところはスカイツリー
死ぬまでに一回くらい観ておいたほうがいいかなと(それほどたいそうなことでもないか)
上のほうが曇って見えない。
周囲の展望はさっぱり。富士山がみたかったのに。日頃の行いが悪かったか。
ときどき雲の切れ目から隅田川が見える。X形状の端が見える。桜橋だそうだ。
桜が咲くころに見たいね。「春のうら~らの隅田川・・・」
形鋼じゃなくパイプで構成したのだね。当然一本一本応力計算をしただろうね。
3Dで簡単にでるのだろう。
地震の際の横加重ってどう算定するのかな。
ともかく展望台入場料半額にしてほしかった。(当然予想できるだろう。アンタの自己責任だ)
次はとかく話題になる靖国神社。
父は祀られていないし、親戚にもいない(と思う)。
信仰心なんてないのでただの興味本位。
父は支那事変、太平洋戦争と出兵したそうだ。
日米開戦ごろは30歳を超えていたので最前線には行かなくてよかったようだ。
ビルマで橋をかけている際、敵艦載機に機銃掃射されやむなく水のない川原に飛び降りたらしい。足を折って治療のため帰国船に乗れなかったが、その船が潜水艦に撃沈されたそうだ。
おかげで私も生まれた。
父は戦後ここに来たのだろうか。もっと生きているときに聞いておくべきだった。
戦没者の慰霊として存在することに異議を挟むものではないが、やはりA級戦犯の合祀の問題は残るだろう。
日本人の宗教観として人間死ねばみな神であり仏だということもわかるが、日本を間違えた(間違っていなかったという意見もあるだろうが、原爆を落とされ、領土を奪われて間違っていないとは思えない)方向に導いた国家の責任者は赤紙一枚で犬死した人とは別だろうと思う。
その責任を問うたのだろうか。
結局のところ日本人自身があの戦争の総括をしなかったということだろう。
零戦が展示してあった。
先日見た映画「風立ちぬ」の主人公堀越二郎氏の傑作である。
ほんとうに美しい。
要求仕様を満足させるために軽量にすることに腐心されたらしいが、それは大馬力の適当なエンジンがなかったともいえるのではないだろうか。
それでも優秀な技術者は性能を満足させることはなんとかしてできる。
そのため防弾性能に欠けるという結果になり、戦争の後半はパイロットの技量とあいまみ簡単に撃墜されたそうだ。
戦闘機の方向性を見出せなかった軍部の中枢も責任だろう。
そんなことも最近読んだ「永遠の0(ゼロ)」に描いてある。
1000馬力のエンジンで2000馬力の敵機と闘う。
相手は一撃離脱戦法で空中戦は避ける。
なんやら170cm前後の日本人選手が、190cm以上のエース連発の相手と闘うみたいだな。(ちょっと違うかな)
零戦といえば京都嵐山美術館でみたことを思い出してアルバムを探してみた。
22年前、次男11歳の写真が出てきた。母親に「親父も年取ったな」と言ったそうだ。
そりゃそうだ。お前にすねをかじられたんだ。
ガールフレンドを見つけ、今日お相手の御両親にあいさつができた。
やっと片付きそうだ。将来の娘さんに感謝である。ようもらってくれた。